人生で一番強くなれた日
別居を念頭に生活していく中、自分の大量の荷物も、少しずつ整理していきました。
荷物の整理をしていくと、不思議と、覚悟も出てくるのです。
私の場合は、決心して家を出るまでに約2か月という、短い期間で実行に移しました。
新しい家への想い
- 別居を決心してから、まず住む家を探すことにした。
元々、夫の実家のある町に、転勤先から戻っていたので、全く馴染みがなく、土地勘なし、土地への愛情もなし、とにかく旦那一族の町から離れたかった。 - 郊外の町に住んでいたので、私は都市の中心部へ探しに行きました。
どうせ、住むんだったら、知らない町の華々しい雰囲気の所で、新生活を盛り上げたい、と言う私の意気込みもあったのです。 - みじめになりたくない、という強い思いもあったと思います。
死ぬことを考えれば、何でもできると思い、捨て身になれました。 - 物件をいくつか内覧して、条件として1日のどこかで必ず、日が当たる部屋を希望し、ベランダの外に高い建物がない環境を探しました。
日に当たらないと、鬱になる、と聞いていたこともあり、不動産の方に条件の一つに伝えていた。
旦那に別居話を打ち明ける
- 引っ越しの段取りをして、1週間前に旦那に打ち明けた。
- 旦那は、いつも小馬鹿にしていた自分の嫁が、まさか.家を出ていくなんて・・まさかの連続だったらしい。
- かなり、言い合いになり、結婚してから、旦那が私に対しての暴言、態度などを指摘し、姑が私に対してのパワハラを繰り返した事を伝えると、旦那は全て拒否、それどころか、大声で怒鳴って母親をかばった。
ほんと、クソ野郎です! - また、話の内容については、一切、知らないの一点張りで、一体今まで何を見て、聞いて、生きていたのだろう、と呆れ果て、言葉が出なかった。
- 姑は、私だけではなく、私の生んだ子供達にも嫌がらせをしていて、それを旦那に言っても、認めません。
更に、大声で怒鳴りちらし、姑の悪態を指摘されるのが、一番堪えるようでした。
溺愛の息子でしたからね・・・ - 私に関するものは、全て、いじめの対象になっていて、そんな状況を何十年と共に生活してきて、何も知らないだなんて・・・コイツ、地獄へ行け!! と思った。
- 結婚以来、旦那の事が怖くて、いつも年上の上司と住んでいるような感じで、心安らぐ日が一日もなかった。
- もちろん、旦那の言葉に言い返そうものなら、更に大声で馬鹿にしたように怒鳴り、その度に、何も言い返せずに黙って我慢してきたのです。
結果、それが良かったのか?悪かったのか?わかりませんが、周囲の人からは、なぜ、言い返さないのか?もどかしい・・・と言われました。
何でも言い返せる人から見れば、そうかも知れません。
でも、長年、押さえつけられて生活していれば、言い返した時に返ってくる、旦那の怒鳴り声が怖くて、恐怖で、言い返せない体質になっていました。 - 一週間後に、出て行きます、と言うと興奮して、うろたえ、大声で怒鳴り、醜態を私に見せつけた。
何を言おうと、私の決心は変わらない、と言う覚悟を持っていたので、この時ばかりは、私も、思いっきり言い返した。 - コイツには、何を言っても、何をやっても、帰る実家はないし、我慢するだろうと、タカをくくっていたようですが、残念でした! バカめが!
引っ越し当日の日
- トラックが来て、2階の部屋から私の荷物を降ろし始めた時、一階の自分の部屋から出てきて、
- 「出て行かないでくれ! このまま一階と二階で別々に生活してればいい」と。
- 今頃・.・・
- 必死な表情をしていたが、私の辛い30数年間を考えれば、妻を粗末にした天罰が下ったということ。
- 私も、人間、生き物、心を持っています。
- 旦那にとっては、私は家畜のようなものだったのか?
- 今でも思い出すと、腹が立つ💣
- トラックへ荷物を運び終わって、私は、荷物が届く前に、急いで新居へ移動した。
- 娘へは、申し訳なさで一杯だったが、私と一緒に出ることを拒否したわけで、娘が選んだ道なので、そこは割り切った。
- 私の荷物は異常に多くて、狭い1kには入らず、かなりの荷物を部屋に残して行った。
- 私の気持ちは、新生活のことで頭一杯。
結婚当初から旦那から離れたかった・・・何十年の時を経て、実現したのです!
子供との関係
- 遠方に住む、息子へ事情を話しをして、保証人の話をしたとき、一つ返事で了解してくれた。
だが、まさか母親が出て行くなんて・・・とショックを受けていた。 - ですが、息子は、夫婦の別居の協力をした、と言うことで、後に私に対して、段々とよそよそしくなっていきます。
これは、後日、お話ししたいと思います。 - もともと、子供の成長するまで待つ、と言うのが、私の別居または離婚への考え方でしたが、別居の時には、すでに上の子は、30歳を過ぎており、さすがにもういいだろう・・と思った。 だよね!
- 家に残る娘にも別居を打ち明けた時、かなり驚き、ショックを受けていた。
- 娘に話をしたあと、私と一緒に家を出ないか? と言うも、あっさり却下💣。
- 娘のショックより、私のショックの方が大きかった。
- 娘も会社員で、それなりに稼いでいたが、無職の母親についていっても、多分、自分に負担がかかるだろう? と踏んだみたいね。
- やっぱり、子供は、母親の分身ではない。
- DNAの半分は旦那のが入っていて、必ずしも、感性や性格、思考が一致しているわけではない、と思い知らされた。
- もともと親に対して、クールな女性なので、感情的な判断はしなかったよう。
- 子供達は、小さい時から、姑や夫のことで悩んでいる、母をみていても、母親の体や健康、幸せより、母親として旦那とずーっと一緒に家を守ることを望んでいたみたい。 残酷物語・・・
- これも今になってわかることですが、結局、子供と言うのは、母親を一人の「人」として見るのが、難しいのですね。
- こういう子供のエゴって、我が家だけ? 日本だけ? 長い間の母親の悩みや苦痛を、無くしてあげたい、とか思わないのだろうか?
そうか・・・世間体ね、多分
あと、自分達の都合。 - 金銭的な負担が、もしかして、自分に降りかかるのでは?と思ったかも知れない。
これは、10年近く経っているからこそ、言えること。
今も、波風は立っていませんが、私は別居後から、段々と健康になり、こうやって頑張って仕事が出来ている。
なので、一度たりとも、子供達には金銭面では、迷惑をかけたことがない。
迷惑かけた言えば、家を借りる時位かな?
これからも、健康で、体が動くうちは仕事をして、金銭面で迷惑をかけたくない。
今は子供達と少しクールな関係ですが、いい関係を保っています。
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